ガチャの結果なんて、たぶん運です。
500円玉を入れようが100円玉を5枚入れようが、レバーを勢いよく回そうが慎重に回そうが、機械の中にいる推しがこちらの気持ちを察して前へ出てきてくれるわけではありません。
そんなことは分かっています。
少なくとも、ガチャ売場へ行くまでは分かっています。
ところが、いざ目の前に「全5種」のラインナップが貼られ、そのうち1種類だけがどうしても欲しいとなると、人間は急に怪しくなります。
さっきまで合理的だった大人が、レバーに手をかけたまま止まる。
ちょっと台を見る。
もう一度ラインナップを見る。
そしてなぜか一回、息を整える。
これから行うのは300円のカプセルトイです。国家資格の実技試験ではありません。
それでも本人は真剣です。
なぜ人はレバーをゆっくり回し始めるのか
欲しいものが特に決まっていないときのガチャは、実に爽やかです。
お金を入れる。回す。出る。「あ、これか」。以上。
ところが、「今回は絶対にハチワレが欲しい」といった具体的な欲望が発生した瞬間、レバーの扱いが変わります。
ぐっ、と握って、妙にゆっくり回す。
カチ……カチ……カチ……。
普段なら一秒で終わる動作に、なぜか四秒くらいかける。
おそらく心のどこかに、「丁寧に回した方が機械も丁寧な仕事をしてくれるのではないか」という期待があります。
機械に接客品質を求めています。
こちらが礼儀正しく回したのだから、そちらもそのへんを汲んで、できれば黄色いカプセルを落としていただけませんか、という無言の交渉です。
もちろん、ガチャマシンは何も聞いていません。
聞いていませんが、ゆっくり回した結果、本当に欲しいものが出ることがあります。
ここから話がややこしくなります。
「あれ? やっぱりゆっくりがいいのでは?」
人類の新しい知見が誕生します。
サンプル数、1。
前回ダメだったので、今日は速く回します
ところが次回。
同じ方法でゆっくり回したら、普通にダブります。
すると、昨日まで絶大な信頼を寄せていた「ゆっくり回転法」は、驚くほど簡単に捨てられます。
「やっぱり考えすぎるのがよくないな」
今度は一気に回します。
ガッ、ガコン。
速い。
理論が180度変わっていますが、本人の中ではちゃんと筋が通っています。
ゆっくりでダメだった。なら速くすればいい。
非常に論理的です。
出発点以外は。
ガチャを何度か回していると、こうして個人の中に「経験則」が蓄積されていきます。
朝一番の方が出る気がする。いや、夕方の方が台がこなれている気がする。誰かが連続で回した直後は避けた方がいい。逆に直後こそ流れが来ている。
全部言えます。
何しろ検証ができません。
一度レバーから手を離す、という儀式
個人的に面白いと思うのが、一度レバーを持ったのに、回さず手を離す人です。
ありますよね。
「……いや、ちょっと待とう」
何を待つのか。
本人にもたぶん分かっていません。
財布を確認するわけでもない。後ろに人が並んだわけでもない。ただ最初に握ったときの感じが、なんとなく良くなかった。
そこで一度リセットします。
手を離し、台を見つめ、仕切り直してもう一度握る。
パソコンなら再起動です。
ガチャなら、これで何かが変わった気になります。
特に恐ろしいのは、そのあと欲しいものが出た場合です。
「危なかった。最初のまま回してたら違うの出てたわ」
そう確信します。
いや、どうして分かる。
でも分かるのです。その瞬間の本人には。
こうして新しい験担ぎがひとつ増えます。
右手がダメなら左手がいる
さらに連敗が続くと、ついに利き手まで疑われ始めます。
右手で2回回して、2回とも狙いではなかった。
ここで普通なら「まあ確率だよね」で終わるところですが、ガチャの前ではそうはいきません。
「右手、今日ダメだな」
右手が戦力外になります。
そして左手の登板です。
左手なら流れが変わる。
なぜなら、まだ今日一度も外していないから。
野球ならブルペンから左の中継ぎを出す場面ですが、実際に出てくるのは自分の左手です。
左手は突然重大な責任を背負わされます。
しかも不慣れなので、レバーを回しにくい。
ぎこちなくガチャガチャやった末に、さっきと同じキャラクターが出る。
その瞬間だけは、右手と左手の歴史的和解が起こります。
「手の問題じゃなかったな」
ようやく正しい結論に近づきます。
ただし次の店に行くころには、たぶん忘れています。
透明ケースの中をのぞくと、人は急に専門家になる
ガチャ台の前で、ちょっと横に身体をずらしてケースの中をのぞき込んだ経験はないでしょうか。
私たちは一体、何を確認しているのでしょう。
カプセルです。
大量のカプセルです。
当然ですが、それ以上ではありません。
ところが欲しいキャラクターがあると、そこから壮大な分析が始まります。
「あのピンクのカプセル、たぶん次の次くらいで落ちてくるな」
何を根拠に。
「いや、下の方に青が多いから、先に青が来るか」
急に重力と内部構造を読み始めます。
普段、洗濯機の中で靴下がどのように移動しているかなど一度も考えたことがない人が、ガチャマシンの内部だけは理解できる気になっています。
しかも厄介なのは、カプセルの色と中身が必ず対応しているとも限らないことです。
分かっています。
それでも見ます。
なぜなら、目の前に透明な壁があるからです。
見える以上、人は意味を探してしまうのです。
前の人が推しを出した。さて、これはチャンスなのか
さらに判断を狂わせるのが、自分の直前に回した人です。
目の前の人がカプセルを開けて、自分の欲しかったキャラクターを出した。
この瞬間、二つの派閥が生まれます。
「今出たってことは、もうしばらく出ないな」
と撤退する人。
「今この台、来てる」
と突撃する人。
同じ現象を見て、結論が真逆です。
面白いのは、どちらもそれなりに自信があることです。
前者は「同じのが連続で入ってるわけない」と考え、後者は「近くに固まって入ってる可能性がある」と考える。
もちろん、本当のところは分かりません。
それでも人は判断しなければならない。
なぜなら、後ろに人がいるからです。
ガチャの前で考えられる時間は意外と短い。
こんなところでも人生は決断の連続です。
最終的にたどり着く「無欲」という境地
あらゆる方法を試し、右手も左手も信用できなくなったころ、人はついに精神世界へ向かいます。
「欲しいと思うから出ないんだ」
いわゆる物欲センサーです。
そこで作戦を変えます。
ラインナップを見ない。
欲しいキャラを考えない。
「別に何でもいいけどね」という顔をする。
ものすごく欲しいのに。
本当は朝からそのキャラクターのことを考えていたのに。
わざわざ電車に乗ってこの店まで来たのに。
心の中だけ急に、
「まあ、どれでも」
と悟りを開きます。
ところが、この理論はものすごく強い。
欲しいものが出た場合。
「ほら。無欲が一番なんだよ」
欲しいものが出なかった場合。
「まだ心のどこかに欲が残ってたな」
絶対に負けません。
もはや理論として完成しています。
そして一度当たると、人は伝道師になる
験担ぎの最大の問題は、たまに成功することです。
たとえば、左手でレバーをゆっくり回しながら心の中で「別にどれでもいい」と唱えた。
ガコン。
欲しかったものが出た。
この瞬間、偶然だった一連の動作は「方法」に昇格します。
次回から当然やります。
友人にも教えます。
「なんかさ、ゆっくり回した方がいい気がする」
情報源は自分です。
しかも一回です。
それでも本人は半分くらい本気です。
人間は、自分で見つけた法則が好きなのだと思います。
「たまたま」と言われるより、「コツをつかんだ」と思った方が楽しい。
ガチャは、その程度の勘違いを楽しむにはちょうどいい遊びなのかもしれません。
たぶん何も変わらない。でも、それでいい
もちろん、レバーをゆっくり回したからといって、欲しいものが出やすくなる根拠はありません。
右手から左手に変えたところで、確率がこちらに気を遣うこともないでしょう。
一度手を離したからといって、機械の内部でカプセルたちが「あ、仕切り直しだ」と配置換えを始めるわけでもありません。
それでも、こういう謎の儀式はなかなか消えません。
考えてみれば、それこそガチャの面白いところです。
中身を自分で選べる商品なら、こんなことはしません。
棚から欲しいものを手に取って、レジへ持っていけば終わりです。
何が出るか分からない。
自分ではどうにもできない。
だからこそ人は、そのどうにもできない部分に、少しだけ自分の意志を持ち込みたくなるのでしょう。
ゆっくり回す。
左手で回す。
一度離す。
無欲を装う。
全部、たぶん意味はありません。
でも欲しかったものが出た瞬間だけは、
「ほらね」
と言いたい。
それでいいのだと思います。
ちなみに次に回すとき、私はたぶんゆっくり回します。
この記事をここまで書いておいて何ですが、前にそれで欲しいのが出たことがあるので。
