新しい部屋に荷物を運び込む前、引越しには「減らす」という工程がある。読まなくなった本、着なくなった服、使わなくなった家電——心を鬛に持ってどんどん処分していく。そして最後に、開かずの段ボールにたどり着く。中には、何年も前に集めたガチャのコレクションが詰まっている。
「これ、いつのだっけ」と手に取った瞬間、引越し作業の手が止まる。これは多くのガチャ好きが経験する、避けられない通過儀礼だ。
段ボールを開けたときに起きること
「あ、こんなの持ってたんだ」
引越し作業中に出てくるガチャの箱は、たいてい記憶から消えている。クローゼットの奥、押し入れの上段、本棚の裏——存在を忘れていた場所から発見されることが多い。開けた瞬間「あ、こんなの持ってたんだ」という、自分の過去との再会が始まる。
3年前に集めていたシリーズ、当時ハマっていたキャラクター、もう廃盤になったであろうデザイン。タイムカプセルのような感覚で、手が止まる。引越し作業のスケジュールも一緒に止まる。
→ この時点で「30分だけ」のつもりが軽く1時間消える。引越し作業者として、これは織り込んでおくべきリスクだ。
「捨てる」か「持っていく」か、その狭間で
引越しは物を減らす機会のはずなのに、ガチャの箱を前にすると判断力が鈍る。「もう使わない」とわかっている。「飾る場所もない」とわかっている。それでも「捨てる」の選択肢を選べない。結局「とりあえず新居に持っていく」という、何も解決していない判断を下すことが多い。
これは引越し業者から見れば非効率かもしれないが、ガチャを集めている人間にとっては当然の選択だ。物理的な価値より、そこに詰まった「あの時期の自分」という記憶の価値が勝つ。
→ 「とりあえず持っていく」を選んだ箱は、新居でもまた同じ場所に収まる。次の引越しでも、同じ判断が繰り返される。
新居でも、また同じ場所にしまわれる
新しい部屋に運び込まれたガチャの箱は、結局またクローゼットの奥か押し入れの上段にしまわれる。「今度は飾ろう」と思っていたはずなのに、生活が始まると優先順位はどんどん下がっていく。気づけば、また「存在を忘れた箱」になっている。
そしてこの箱は、次の引越しでまた発見される。同じ驚き、同じ葛藤、同じ結末。ガチャコレクターにとって、引越しのたびに繰り返されるこの儀式は、もう一種の生活サイクルになっている。
→ 何度引越しを重ねても、この箱だけは絶対に処分されない。むしろ引越しを重ねるごとに、箱の中身は少しずつ増えている説もある。
なぜ、捨てられないのか
正直なところ、ガチャ単体の物理的な価値はそれほど高くない。300円、500円で買ったプラスチックのフィギュアやアクセサリーが、何年も保管され続ける理由は、モノとしての価値ではない。そこに紐づいている「あの頃」の記憶が、捨てる判断を鈍らせている。
このガチャを買った日、何をしていたか。一緒に並んでいた友達は誰だったか。当時ハマっていたアニメや、よく通っていた店——ガチャは小さなタイムカプセルとして機能している。引越しという「物を見直す機会」だからこそ、その記憶の重みに気づかされる。
正直に言うと、「また飾る」「また使う」と思って持っていく箱は、ほとんどの場合その機会が来ない。それでも持っていくのには理由がある。捨てるという判断を今この瞬間にしなくていい、という猶予を自分に与えているからだ。
これは悪いことではないと思う。全部を合理的に判断しなくても、生活は続く。次の引越しでまた同じ箱を開けて、また同じように悩む——その繰り返しも、ある意味コレクターとしての歴史を積み重ねている行為なのかもしれない。
